»Kein Mensch muß müssen«

 光文社古典新訳文庫版の『賢者ナータン』を読了した。

 これまでにも『賢者ナータン』の邦訳は複数出ており、私の知る限りではこの古典新訳文庫版の刊行が6度目の邦訳となる。文庫としては長らく篠田英雄訳の岩波文庫版があるのみだったが、2016年に市川明による日独対訳の松本工房版、2020年に丘沢静也訳の光文社古典新訳文庫版が相次いで刊行されている。
 ドイツ語原文を参照されたい方には対訳版がおすすめなのだが如何せん分厚く、携行にはやや不向きかもしれない*1。読みやすさや入手しやすさの観点では光文社古典新訳版をおすすめしたい。

 『賢者ナータン』(Nathan der Weiseは、ドイツ啓蒙主義を代表する思想家・劇作家レッシング(Gotthold Ephraim Lessing, 1729-1781)が論敵ゲッツェ*2との激しい神学論争を繰り広げるなかで成立した作品であり、その成立事情や内容についても興味深い点が多いのだが、本記事では作品内に出てくる次の台詞を取り上げてみたいと思う。

»Kein Mensch muß müssen.«

 これは『ナータン』第一幕第三場において、イスラム托鉢僧の台詞を受けてユダヤ人賢者ナータンが言った台詞なのだが、ここでは人物や場面の説明は脇に置いて、このドイツ語表現の面白さに焦点を当ててみたい。

*1:既に絶版のようでAmazonでは価格が約2万円にまで高騰していた。

*2:Johann Melchior Goeze, 1717-1786。ルター派正統主義の代弁者にして「ハンブルクの異端審問官」の異名を持つ。日本国内における表記について安酸の指摘によれば、かの文豪ゲーテGoethe)につられてGoezeについても「ゲーツェ」という表記を当てた例が散見されるが、正確な発音は['gœtsə]とのこと(安酸敏真『レッシングとドイツ啓蒙―レッシング宗教哲学の研究』,創文社,1998年,59頁の註17を参照。こちらもすでに絶版だが、創文社のオンデマンド版で入手可能)。

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